若い時の苦労は買ってでもせよ の話(体験談あり)
こんにちは、masaです。
私が教職員になったきっかけを思い出すだけでも、人生はわからないなぁとつくづく思うのですが、
今回は筆者の経験をもとに、「若い時の苦労は買ってでもせよ」について書いていきたいと思います。
- 「若い時の苦労は買ってでもせよ」辞書的な意味は?
- 筆者の体験談~大学受験での挫折経験
- 新聞配達の過酷な労働
- 2度の受験失敗 それがターニングポイントだった
- 大学入学後は自分を見失う
- どん底状態から教師を目指す
- なぜ今、「若い時の苦労」が必要なのか
「若い時の苦労は買ってでもせよ」辞書的な意味は?
「若い時の苦労は買ってでもせよ」とは、
- 若い時にする苦労は必ず貴重な経験となって将来役立つものだから、求めてでもするほうがよいということ。(故事ことわざ辞典)
というものです。自分に当てはめて考えてみても、これは確かに真実であると思います。
筆者の体験談~大学受験での挫折経験
筆者自身の若いころの苦労と言えば、大学受験の失敗から生じた浪人生活でしょう。
当時の状況は、浪人させてもらえるほど両親の経済力はなく、選択肢として「自分で稼ぎながら浪人する」しかありませんでした。
その時に選んだのが「新聞奨学生」という制度で、住み込みで働きながら給料をもらい、1年働く代わりに返済不要の奨学金を付与されるというものです。
60万円ほどの奨学金を予備校の1年間の授業料にあて、東京の大都会で浪人生活を開始しました。
新聞配達の過酷な労働
実際の新聞配達の実態はこうでした。
- 朝3時半に起床。配達順に新聞を組み、4時半に配達開始
- 都内を自転車で回りながら配達。7時に配達完了
- 予備校に9時に通い、昼2時に途中退出して夕刊配り
- 週6日勤務。
今考えると無茶苦茶な労働環境でした。ストレスもたまり、唯一の休みの日も別のセミナーに参加していたこともあって、1年間で身も心もボロボロでした。
体調も崩すことが何回かあり、センター試験前に高熱を出す始末。結果、自分の実力を全く発揮することなく、受験を終えることになります。
2度の受験失敗 それがターニングポイントだった
2浪はできないと考え、結果「地元の大学」を最後は選択することになります。しかし、ここでも変なプライドがあって、現役時代からの希望であった工学部をあえて選ばず、なぜか教育学部を選んだのです。
きっとこの当時は、「現役時に捨てた選択肢を、浪人してまで選びたくない」と考えていたのでしょう。その結果、本来目指してもいない教育の学問へと進んでいったのです。
大学入学後は自分を見失う
大学入学後は、自分の興味ある授業もなく、完全に自分を見失っていました。
教師になろうとしているわけでもないのに、なぜ自分はこの大学で学んでいるのだろうか。
そう考えることも多くあり、教職関連の授業出席もギリギリ。何とか単位はもらえたものの、大学でこのまま学び続けることに大きな疑問を抱いていました。
どん底状態から教師を目指す
大学3年次に、私の大学では教育実習が6週間実施されることになっていました。
退学や転学などを考えていた私は、「とりあえず実習乗り越えたら考えよう」と思って実習に参加。
小学校と中学校の実習はとにかく大変で、学校から戻って大学で授業準備をして1日を明かしたりしていたくらいでしたが、
これが楽しかった。何が楽しかったって、一生懸命準備した授業に、生徒がしっかりと答えてくれ、しかも目を輝かしながら数学を学んでくれること。
これまでの悶々としていた大学生活が一気に晴れた気がしました。「これだ!」と思うようになったのです。そして、教育への世界を目指すようになり、専門分野の数学や教育について、これまでになく勉強するようになったのでした。
なぜ今、「若い時の苦労」が必要なのか
なぜ、若い時の苦労が必要なのかといえば、
- 挫折を経験すると、自分を変える原動力になる
- 将来的に人生が楽になる
挫折する時期が早いほど、その後の人生が楽になると思うのです。
12年前の自分が、現在の自分を想像できたかと言えば、ハッキリとNOです。
いろいろな挫折を経験して、その時に必死になって自分を見つめなおしていました。
挫折するたびに、自分が「雑魚」であることを自覚して、
それでも生きることをあきらめずに進んでいった結果、今の自分があったりします。
これからも挫折の連続で、でも若い時の苦労があれば乗り越えられないものはないわけで。そういう意味で、「若い時の苦労は買ってでもせよ」と言えます。