実績を気にしすぎる教育界 そろそろ本質に気付きましょう
こんにちは。masaです。
この時期は学校でも中間試験が始まっていて、生徒は必死になってテスト勉強する日々を送っているようです。
そんな中、今回の記事で書こうと思いついたネタがありました。
教員として働いていたときに、よくやり取りしていたこんな場面。
先生のクラスの平均点、何点だった?
ーーちょっと低かったですね。○○点でした。
それずいぶん低くない?どうしちゃったの?何とかしないとこのままではまずいよ。
教員をしていると、このような場面によく遭遇します。
要は、「教員間で担当しているクラスの平均点を異様に気にする」現象ですね。
今回はこの点についてまとめ、深堀りしていきたいと思います。
平均点を気にしすぎる教員問題
教育現場で生じる、「平均点を気にしすぎる」教員問題。
- 担当するクラスの平均点が高ければ、なんだかうれしい。
- 平均点が低ければ、気まずくなる。
こんなことがよくありました。
平均の意味を取り違えてませんか?
当たり前ですが、平均点は「合計点数」を「人数」で割った値ですね。
ある程度の目安はこの数値で判断できますが、平均点の高低で判断できるものはほとんどありません。
一例として、
- ① 100人のうち、1人だけ貯蓄額が1億円。残り99人は貯蓄額0円
- ② 100人のうち、全員が貯蓄額100万円
当たり前ですが、どちらの場合も「平均貯蓄額100万円」です。
重要な判断基準は「散らばり度合い」
でも、平均だけに着目すると、実際の貯蓄額のいびつな構造は把握できません。
ふたを開けてデータを見てみれば、同じ平均値でも、かなり様相が異なっていることがわかります。
この場合、見なければならないのは点数の「散らばり度合い」ですね。簡単な例として「中央値」(データを小さい順に並べた場合の、真ん中の数値)
- ①の場合 中央値 0円
- ②の場合 中央値 100万円
この値を見ただけでも、「①の平均値はなんだかかなり怪しい、点数の取り方がいびつなのでは…」と思うのは自然です。
国民の貯蓄額から見る「平均値の怪しさ」
少し話はそれます。平均値の怪しさを確かめる簡単な例として、「国民の貯蓄額」という数値があります。
- 29歳以下:平均貯蓄額154万円
- 30歳代:平均貯蓄額403万円
- 40歳代:平均貯蓄額652万円
高いか低いかは別として、この数値を見てどう感じるでしょうか。
- 「周りは結構貯蓄しているな💦」
- 「自分はこんなに貯蓄してないから、頑張らなきゃ」
と思ったりして。
では、次の事実を突きつけられたら、どうですか?
- 30代、40代のおよそ23%が「貯蓄0円」
マジか?と思いますよね。一気にこの平均値の信ぴょう性が崩れてしまいます。
これが平均値の怪しさを表している一例です。最初の例のように、一部が突出している場合でも、平均値はある一定の数値に落ち着きます。
つまり、データの平均値はあくまで「全体のバランス」を見るもので、個々の相対的な位置や、全体の散らばりまでは表してくれないのです。
「平均点が高い=指導が優れている」の勘違い
少し話がそれてしまうかもです。
よく思うのですが、
- 担当したクラスの平均点が高い=指導が優れている
- 担当したクラスの平均点が低い=指導が劣っている
というニュアンスで平均点をとらえる先生方もいます。
ある意味で正解の部分もあるのですが、ここまで述べた通り「平均はあくまで全体のバランス」であって、学力の優位性や教員の指導力のあるなしを判断するものではありません。
数学の教員であっても、かたくなに平均値を気にする先生の姿を見てきました。
もちろん、「だいたいこれくらいの平均を見込んでテストを作ろう」という考え方は重要ですが、クラス間のテストの平均値を比較する意味は皆無です。
「実績を示してください」という愚かな考え方
少し話がそれるのですが、家庭教師などの教育にかかわる仕事をするとき、聞かれることがあります。
- これまでの指導実績を示してください
はっきり言って、これは愚問です。
実績を残すのは生徒であって、教える側のものではないからです。
- ○○大学合格 ○○人
不思議なんですよね、このようなフレーズ。
予備校業界にはたくさんあります。合格実績を示すことで、宣伝効果も高いことはよくわかる。
でも、それら一つ一つは、生徒の努力の積み重ねの結果であって、決して教育者の手柄ではないと思っています。
まとめ
少しまとまらないかもですが、以上の記事を簡単に振り返ります。
- 平均値だけを見て、教員の教え方がどうのこうのいうのは間違っている
- 平均値はあくまで「全体の均質化」 中央値を見れば現実がわかる
- 実績は教育者の手柄ではない あくまで生徒の努力の結果
この記事を書いていて、つくづく思うことがあるんですよね。
それが、「教育者の勘違いにもほどがある」ということ。
教育者は子供の上に立つのでは決してありません。
子供の成長を見守る、いわば「側近」です。
子供たちの努力の結果を、本来ほめるべき。
こんなことを思い出し、今回は記させてもらいました。