謙虚な姿勢は、その人の「至宝」だと思う
こんにちは。masaです。
謙虚になると、世の中で生きやすくなる。これは確かに真実だと感じています。
とはいっても、人間だれしもそうですが「自分が大切」なので、ある程度の「誇り」や「自信」というものがあるのも事実。
そこで、今回は「謙虚な人になる」とはどういうことか、筆者なりの考えをもとに執筆していきたいと思います。
「謙虚」とはどういう状態のこと?
辞書によると、「謙虚」とは
控え目で、つつましいこと。へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること。(デジタル大辞林)
ということだそうです。
さらに、「へりくだる」とはどういうことなのかというと、
相手を敬って自分を控えめにする。謙遜 (けんそん) する。卑下する。
(goo辞書)
ということ。
「謙虚」とは真逆の状態とは
謙虚とは真逆の状態は、「横柄」、「高慢」、「傲慢」です。一つずつ見ると、
- 横柄 → 態度が大きく、無遠慮なこと
- 高慢 → 高ぶって人を侮ること
- 傲慢 → 威勢を張って人を侮ること
こんな人にはなりたくはないですね。
自分に対して、このような態度をとる人とは関わりたくないと思うはず。ですから、自分自身も「謙虚な人」になりたいと思います。
謙虚な姿勢を作り出すためのマインド
「謙虚」という特質を生み出すには、ポイントがあると考えています。それは
- 「自分は何も知らない」という無知の感覚を持つ
- 自分が成し遂げたことは、自分の力によるものではないという認識をもつ
順番にまとめてみます。
「自分は何も知らない」という無知の感覚
筆者は特に最近強く感じていることがありまして、
- 世の中を見渡すと、その道を究める強者がたくさんいる
- 自分はなんて小さな存在なのだろう、といつも思う
こんなことを考えています。
プログラミングの学習をしていても、「よくこんなことまで知っているな」とか、「これを仕事として活躍している人は、かなり賢い人たちだな」とか、圧倒されるような感覚になることがあります。
それでも、「自分は何も知らないな」と無知の感覚になると、そういった人たちからぜひ学びたいと強く思うようになります。
その道のプロから、ぜひとも吸収したいと思うようになるのです。ですから、「無知の知」とよく言われる通り、自分は何も知らない弱者だと自覚するようになっています。
成し遂げたものは、自分の力によるものではないという認識
これも、筆者の体験談。
- これまで得た知識や経験は、自分一人で成し遂げたものではない。それを支えてくれた数えきれない人々の存在があったからこそ
これをどれだけ自覚できるか。
知識を得るにも、偉業を成し遂げるにも、自分一人で勝ち得るものは存在しないはずです。家族の支えがあったからこそ、あるいは恩師の存在や仲間の存在、その他協賛してくれる人の存在など、数えきれない人がかかわってくれたからだと思うのです。
筆者がこれまで短い人生の中で成し遂げてきたことは小さなことばかりかもしれませんが、それらは家族の支えだったり、周りの人の影響があったからこそ。
そして、新たな挑戦をしている現在も、周りにいる「超優秀」な人たちの考えや知識を参考にしながら、学ばせてもらえています。
謙虚な姿勢を磨くと、生きやすくなる
謙虚な姿勢を磨くと、次のようなメリットがあると思っています。
「謙虚」な態度は、自分のためになるだけでなく、相手にとってもさわやかなものです。謙虚な人には、さらに何かを与えたいと思うようになる。
そして、「謙虚」であると、自分の現状に満足することなく、向上心を常に持ち続けることができるようになると思うのです。
謙虚な特質は、その人にとっての「至宝」だと思っていて、一生のうち持ち続けたい特質の一つ。筆者も、謙虚な姿勢を磨き続けたいと思っています。
まとめ
以上の記事のまとめです。
- 謙虚 → 相手を敬い、自分を控えめに。相手の意見を受け入れる
- 自分は無知であるという自覚で、謙虚に行動できる
- 謙虚さを磨いて、他の人から積極的に学ぶ姿勢を身に着けるべし
これは本当に大事だと感じていて、筆者もこの特質を磨いていきたいと思っています。
人間だれしも、得意なものとそうでないものがあるけれど、謙虚な姿勢を貫いていけば、どんなことも吸収して、成長し続けることができます。
自分は雑魚であると自覚して、日々成長していきたいですね。