まだ、教師で消耗しているの?

教師を退職してから、エンジニアに転職する現在進行形のブログです

多忙な教員の働き方は早急な改善が必要 それでも魅力はたくさんある

 こんにちは。masaです。

 

 今回は、こんな記事をもとにまとめてみます。

ryukyushimpo.jp

 

教員の多忙さに、最近社会的なクローズアップがなされています。

 

筆者の実体験をもとに、このことについて簡単にまとめられればと思います。

 

 

 就任直後から任せられる担任業務

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筆者は今からおよそ6年前に、高等学校の教職員に就任しました。就任直後に、いきなり担任を任されることに。

 

学校のことや、業務のこと、その他何もわからないまま、新1年生を迎え入れます。

当然、クラスの生徒も学校のことがわからない。

でも、担任も学校のことがわからない。

 

こんな状態で教員生活スタートです。とにかく、この1年はきつかった。

普段の授業を準備するだけでも大変で、特に新任1年目には「研究授業」を実施することになっています。

 

指導案を作成し、他の先生に授業を公開し、アドバイスを受ける。こんなことを1年目に行っていました。

 

未経験の運動部に顧問として配置

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部活動。冒頭の記事でも主題とされている問題の多い制度ですが、筆者はソフトテニス部に配属になりました。

 

もちろん、ボールも打ったことがない素人です。

 

1年目はそれほど顔出さずにいられましたが、2年目からは半強制的に主顧問に任せられ、普段の練習予定や練習メニュー考案、大会引率などをやらなければなりません。

 

 

非常に苦痛なのが、春や秋の「高体連」の試合シーズンです。

土日はつぶれ、1日中テニスコートに張り付き。これが2週にわたって行われる。

 

素人でアドバイスなどできるわけないのに、なぜかコート内に入ってコーチとしてふるまう。

 

自分のしたいことや、大切にしたいことを奪われ、身動き取れない状態になるのが、苦痛で仕方ありませんでした。

 

形骸化した学校の授業

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経験を徐々に積んで、「学校の授業」についても無駄が多いことに気づきました。

 

1対複数人の講義型スタイルの授業では、個々の生徒のレベルに応じた指導を行うことができません。すべての生徒に対応し、疑問を解決することなど不可能だと気付いたのです。

 

授業というスタイルは、戦後の日本社会が作り出した「詰め込み教育」の名残であると感じていまして、学習効率を考えた際には無駄ばかりのシステムだと思っています。

 

その他 いろいろ面倒な業務ばかりの教員という仕事

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他にも、たくさんの面倒が業務があります。

  • 定期テスト作成、成績処理、出欠席管理
  • 校務分掌の仕事(教務、進路指導、生活指導、生徒会など)
  • 入試業務

これらは、教員としてしなければならない業務であると思いますが、これらに加えて先に述べた部活動指導や担任業務というものがのしかかってきます。

 

正直、「部活指導」は教員の指導の範囲外だと思うんですよね。

指導要領上は「生徒の自主活動」とされていますが、現実は全く異なっていて、「顧問による管理活動」のような状態となっています。

 

部活の大会に出場するには、顧問がいないとだめですからね。

 

それでも教育は魅力が多い仕事 

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そんなこんな、学校教育に対する不満を述べてきたのですが、それでも教育という世界は魅力的な仕事だと思っています。

  • 一般企業では得られない、生徒との貴重な関わり合いがある
  • ぶつかり合いがある中で、お互い成長できる
  • 教えたことが、生徒自身の知識や技能に変換できる

 

筆者も教員を退職したものの、心のどこかで「教育に携わりたい」という思いはあって、どんな形であれちょっとした貢献はしていきたいと考えています。

 

ただ、学校現場の現状を考えると、「別の形」で携われないかなとも思っていたりします。

 

それは現在、模索中ですね。でも将来的には、何らかの形で教育に還元できたらと思っています。

 

今回はまとまらない内容でした。すいません。