日本の教育に頼っていたら、未来はない【家庭で子供を育てよう】
こんにちは。masaです。
今回は、次の記事を見て、思ったことを書きたいと思います。
非常に興味深い記事となっていて、筆者も思いを同じくするところが多かったので、取り上げてみました。
現状の日本の教育を続けていても、未来はないと思っています。今回はそのあたりを深堀していきたいと思います。
教育を教師に任せすぎている
上記の記事にはこう書かれています。
学校の先生に全部任されてもね。「親の顔が見たい」という言葉がありますが、家庭でしつけのできていない子供たちを教育できませんよ。学校教育はもちろん大事で、教育の中核を成すものだと思いますが、あくまで教科が中心でしょう。現代、そして将来の社会を支える人をつくる、そして、その個人が幸せに生きるということを、社会全体で考えない限り駄目です。
日本の教育の問題点は、「学校教育に任せっきり」という点でしょうか。
- 教育の本質は「家庭教育」
- 学校教育はあくまで「基礎学力」を身に着ける場所
ここを間違えてほしくないと、筆者は思っています。
子供の教育を家庭で行えない、というのも社会問題の一つです。
- 公的福祉が充実していない
- 親が共働きで、生活が不安定
こういった要素も重なっているのでしょう。社会全体が、子供の教育に時間を当てられない現状となっているのかもしれません。
入試に必要な科目だけ勉強する風潮
さらに、上記の記事には次のように書かれていました。
まず入試にある科目しか勉強しないことは大問題だ。確かに学力は合否判定の軸です。しかし、筆記試験の成績が神のご託宣のように思われているが、その「信仰」の根拠は何か。この「神」は一人ひとりの獲得点数を1点刻みで正確に知っているが、人物の内容については何一つ理解していません。
この辺り、筆者の思いも同感です。
筆者の思うところ
高等学校で数学を教えていて、違和感を感じます。
- 文系で数学は必要ないから、勉強しない
- 理系でも数学Ⅲは入試に必要ないから、勉強しない
このような生徒の現状を、長い事目の当たりにしました。
原因は、大学入試制度にあると考えています。
- 理系学部でも、数学Ⅲまでを必要としない
- 文系大学では、数学を必要としない
このような大学が最近増えてきています。
入試に必要ない科目なら、学校で教える意味はあるのか
普段つくづく思うんです。
- 数学を学校で教える意味は、そもそもあるのか
- 文系・理系に区分する意味はあるのか
特に、数学Ⅲという分野を本気で勉強する生徒は、国立大学や難関大学を狙う生徒だけで、その他の生徒はほぼ「必要なし」といった状況で、
これって、「数学Ⅲ」を科目として指導する価値はあるのかな、と日々思うのです。
- 数学Ⅲを理系に課すなら、理系大学は数学Ⅲを必須科目にすべき
- それができないなら、数学Ⅲを科目から排除すべき
だと思っています。大学に入って、必要な学生が学べばいい。
正直、日本の教育について(特に数学には)疑問ばかりです。
世界の教育の流れに逆行する日本の画一的な教育
日本の教育は、時代遅れです。
- 教科書に書かれていることを、ひたすら覚える
- テストでいい点を取る人材を評価する
- 椅子に座って、机に向かってひたすら授業を聞く
昭和時代から続く教育を、かたくなまでに続けています。
世界の教育からはかけ離れていっています。
文部科学省直下の学校教育である限り、根本原因を取り除くことはできませんね。解決法は以下の通り。
- 学校教育に頼らず、家庭教育で子供のスキルを高める
- 家庭で、子供自身が学びに価値を見出す環境整備をする
学校教育に頼って子供を育てることには、大きなリスクがあると考えています。家庭の中で子供の能力を引き出し、子供自らスキルを向上させることのできる環境整備が、最も効果的で、再現性の高い方法だと思っています。
筆者もいずれ、数学教育で貢献したい
ということで、筆者は教育に対して思いを持っています。
もちろん、これは「夢のまた夢」で、必ず実現させようとは考えていません。
「出来たらいいな」くらいの感覚です。
現在かかわっている生徒に、全力で数学教育を施す。
学校教育に頼らない、理想の数学教育を目指していきたいと思っています。