「知識」と「専門性」が豊富でも、学校教育を変えることはできない
6年間務めてきた専任教諭を退職し、現在は非常勤講師として、2つの学校で勤務しています。
数学の教員としてこれまで働いてきました。
現在、学生の時と今の自分の考える教育感が大きく変わっています。
今回はそのあたりを簡単に記していきたいと思います。
教師を目指していた学生時代
大学では数学教育と専門の数学(解析を専門にしていました)、大学院ではさらに解析学(偏微分方程式)を研究。
学生の当時は、教師になるにあたって「専門性」は高めておく必要があるだろうと考えていて、必死になって勉強していましたね。
さらに、数学そのものも好きなので、博士課程に進んで研究したいという気持ちもありました。
教師になってから感じていたこと
実際に教師になってから、徐々に感じるようになったことがあります。
- 一斉指導型の授業
- 生徒の理解スピードを無視したカリキュラム
- 点数至上主義の受験教育
こういったものが、生徒を苦しめているのを目の当たりにしました。
勉強ができて、要領の良い生徒にとっては難なくこなせるものであっても、そのほかの生徒にとっては非常に苦しい。勉強が嫌になる。
毎年同じように長期休暇中に宿題を出し、テストを実施して成績をつけ、「授業が大事だ」と言って生徒を学校という狭い枠組みに押しやっていく。
その結果、学校で教えられる勉強に嫌気がさし、勉強嫌いが増えていく。
そんな生徒を、数えきれないほど見てきました。
今の日本の学校教育に、未来はないと悟ったのです。
教科の「知識」と「専門性」では、教育を変えることはできない
教科の「知識」と「専門性」がいくら豊かであっても、教育を変えることはできません。
現在勤務する一つの学校は、いわゆる「学力の底辺」校で、算数の足し算引き算すら満足にできない生徒が多い。
そういった生徒は、そもそも「勉強」することに全く関心がないので、数学の授業で何とか学ばせようとしたところで、無駄な努力になります。
勤務するもう一つの学校では、進学コースと特進コースに分けられていて、さらに学力別にクラスが分けられています。
そのうち、高校3年生の理系クラスの授業を担当していますが、数学Ⅱの微分積分がまともに理解できていないのに、数学Ⅲの授業が展開されている。
生徒の理解力が、授業で与えられる内容と完全にマッチしていないのです。
こうなると、いくら数学の「知識」や「専門性」を自分自身が有していても、授業で伝える教科内容を、生徒たち自身は理解することや、自分のものにすることができません。
さらに、生徒一人一人の理解力や知識、学習能力は異なるわけですから、一律に同じ知識を伝えることもできません。
ということは、学校の授業自体、生徒のニーズに合わせた形での教育を行えないことになります。
教科の「知識」と「専門性」は、教員として高めておくべきスキルですが、今の日本の教育ではこのスキルをほとんど生かせる機会は訪れません。
教育は、教科の「知識」と「専門性」では変えることができない。
そう思っています。
だから、教師という仕事から、完全に引退することに決めました。