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TOEICが「共通テスト」撤退 生徒も学校も混乱必須

こんにちは。masaです。

 

7月に入って、本格的な梅雨空が続き、西日本では大雨に警戒するよう呼びかけられています。お気を付けて。

 

さて、今回は驚きの、教育関連で大きなニュースが飛び込んできました。

 

大学入試共通テストの英語の民間試験に対するニュースです。

 

 

あのTOEICが、民間試験から撤退を表明。

理由は、

当初は二つのテストの成績を別々にセンターへ提供する予定だったが、統合することを求められたほか、両テストをなるべく近い時期に実施することや、「話す・書く」の会場を増やすことなどの対応が必要になり、取り下げを決定したという。(引用:朝日新聞デジタル

 

学校、そして受験する生徒たちが、混乱することは必須。これについて、筆者の意見を交え記していきたいと思います。

 

 

 

英語試験に3技能+「話す」を追加

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引用:https://manabi.benesse.ne.jp/nyushi/special/article/article025/index.html

センター試験が廃止され、大学入試共通テストで英語が民間試験に委託される理由は以下の通りです。

 

  • 従来のマーク試験に加えて、記述式を導入する
  • 3技能に加え、「話す」を評価する

 

これからの時代、大学入試では「学力の3要素」である

  • 十分な知識・技能
  • 思考・判断・表現力等
  • 主体性・共同性・多様性

をバランスよく身に着けさせることが目的となるようで、共通テストはこれらのうち「十分な知識・技能」と「思考・判断・表現力等」を測るためのものだということです。

記述式問題の導入により、解答を選択肢の中から選ぶだけではなく、自らの力で考えをまとめたり、相手が理解できるよう根拠に基づいて論述したりする思考力・判断力・表現力を評価することができます。

 また、共通テストに記述式問題を導入することにより、高等学校に対し、「主体的・対話的で深い学び」に向けた授業改善を促していく大きなメッセージとなります。大学においても、思考力・判断力・表現力を前提とした質の高い教育が期待されます。

 併せて、各大学の個別選抜において、それぞれの大学の特色に応じた記述式問題を課すことにより、一層高い効果が期待されます。(引用:文部科学省HP

 なるほど。思考・判断・表現の力を測るには、どうしても1次試験で記述式のテストが必要だ!ということなんですね。

 

そもそも「話す」能力をテストする必要性はあるのか?

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英語の試験で「話す」能力を測るために、民間試験を導入するということなのですが、疑問点がたくさん。

  • そもそも、民間試験に頼る必要性はある?
  • 受験する試験が異なれば、評価の数値も異なり、公平性が欠けるのでは?
  • 英語だけ年2回の受験資格があるのは、不自然なのでは?

そもそも英語の試験を、目的が異なる各試験に頼ること自体が、ナンセンスであると考えています。

 

 

民間業者は試験で利益を上げ、対策本を発行することによっても利益が出る。完全に民間と文科省との癒着としか思えません。

 

早くも、共通テストの民間試験英語を採用しない大学(東北大、北海道大、京都工芸繊維大など)も出てきてますしね。

www.mathematica-teach.com

 

民間試験にゆだねるより、独自で試験を作るべき

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「話す」能力をそこまでしてテストで点数化したいのなら、

 

 

だと思っています。何故これをせず、民間にゆだねてしまうのか。

 

 

そして、「話す」技能を点数化することが、英語を学ぶ目的ではないはず。

「話す」能力を数値化することを目標にする前に、実際に「話せる」英語を身に着ける教育を施すことを目標にすべきです。

 

その意味では、東南アジア(筆者が知る限り、フィリピンあたり)の人たちは、母語以外に、実生活で英語をペラペラ話せます。

 

これは、単に英語の試験を「話す」技能に特化しているということではなく、学校教育のなかで、自然と英語が話せる教育をなしているためです。

 

日本の英語教育は、完全に目的がずれているというか、点数を取るために「話す」技能を身に着けさせるという考え方自体がナンセンスというか。

 

まとめ TOEICの共通テスト撤退は重大な意味を持つ

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簡単にですが、以上の記事をまとめます。

  • 英語の民間試験導入は、「思考・判断・表現」を図るため
  • 「話す」力をテストの数値化にする意味はなし
  • 実生活で「話す」ことのできる英語教育を目指すべき

考えてみたら当たり前なのですが、日本の英語教育は、「文法」とか「リーディング」とか、教科書や紙の上に書かれたことをやるばかりの「受験教育」になってしまっています。

 

語学の本来の目的である「コミュニケーション」としての英語教育が、圧倒的に不足している。

 

TOEICの共通テスト撤退の意味を、重く受け止めるべきだと考えています。