【本音】勉強嫌いは、教育者によって変えられます
こんにちは。masaです。
筆者は数学の担当をしているのですが、
先日、初めてのクラスの前で話す際に、聞いてみたいことがあったので質問してみました。
「数学が嫌いだ、と思う人は?」
すると、およそ9割がた、背筋を伸ばして誇り高く、挙手したのでした。
なるほど、これが現状なのかと思いつつ、今回は「勉強嫌いは、教育者によって変えられる」というテーマで書いていきたいと思います。
勉強が嫌いになる理由は様々あります
生徒が勉強嫌いになる理由はたくさんあると思いますが、筆者は以下のようなものだと考えています。
- 面白みのない学校教育と授業展開
- 上から目線の教師という存在
- 他人との比較を迫られるプレッシャー
ひとつずつまとめていきます。
面白みのない学校教育と授業展開
最近はようやく、「アクティブラーニング」が文部科学省からも提唱されるようになり、生徒の主体的な学習活動を支援するよう要請がなされているようになりましたが、
現状、その効力は実際の現場には浸透されていないと感じています。
もちろん、授業を工夫してすでに「アクティブラーニング」を取り入れている先生もいることは事実ですが、それでも圧倒的に少数です。
つまらない学校教育の典型例は以下のとおりです。
- 50分の授業で一方的に説明→眠くなる
- 宿題を一方的に生徒に課す→やる気なし
- 宿題をやらないと、やたら怒られる→さらにやる気が失せる
こんな感じです。
上から目線の教師という存在
これも、生徒からすればめんどくさいのですが、
- 何の理由も説明することなく、決まったことをさせる
- 決められたことができないと、叱る
こういったものですね。
生徒も教師も、年齢の違いはあれど、とりあえず一人の人間なので、自尊心というものは持っています。
理由もわからず怒られてしまうと、気分が悪くなるのは当然ですね。
教師の立場から、生徒の気持ちを汲み取る力は大切だと考えていて、見てくれや行動が目に余るばかりに、一方的に何かを指摘したり、叱ったりするのは逆効果です。
「上から目線」という方法はきっぱり捨てて、まずは話を聞いてみる。
そうすると、見てくれや行動からはわからない情報が入ってきて、先入観にとらわれずに生徒とやり取りできます。
他人との比較を迫られるプレッシャー
筆者自身も過去の経験から感じていたのですが、思春期の時は特に、他人との比較をしがちで「自分はなんて大したことないのだろう」とか「あいつに比べて、自分は点数が低くてダメな人間だ」とか、そう思うときが多かったものです。
他人との比較を通して、いわゆる「劣等感」を感じていました。
この心理プレッシャーはかなり大きなもので、自分自身の可能性を失ってしまう危険性すらあるほどの力を秘めています。
どちらかというと、筆者はこの「劣等感」を逆手にとって成長してきた側面もあるのですが、「劣等感」自体は感じる必要は全くないと思っています。
- 他人との比較は無意味。過去の自分と現在を比べる
- 他人がうらやましく感じたら、以下を自問してみる
学校教育は少なくとも、同じテストで点数を比較されるようなシステムとなっていますから、完全に他人との比較を避けることはできませんが、
自問:「1年前の自分と今の自分で、どんなことができるようになったか」を問いただしてみるとよいと思います。結構、人は1年で成長していますよ(筆者自身もその点感じています)
学校の授業をどのようにアクティブにするか
学校の授業そのものは、前提として「受け身」です。
文部科学省という上からの命令によって決められたカリキュラムを履修するように、システムされていますから、これは仕方ないのですが、
それでもアクティブな側面を持ち込むことは可能です。数学という教科なら、
- 全体での説明は最小限におさえる
- 問題を解かせて疑問を持たせる
- その疑問を解決できるようサポート
こんな感じです。
学習の本質は「アウトプット」なので、実際に手を動かしてみることが良いと考えています。
勉強することに価値を見出す
勉強の面白さを生徒自身が感じるための要素は、
- 勉強って自分でもできるようになるから楽しい
- あの先生の語る言葉は、なんだか楽しそう(な雰囲気)
なのでしょうか。その結果、
- 面白そうだから、自分でも少し勉強してみよう
となってくれたらいいです。
何かに迫られるような勉強のスタイル(学内テストや模試、試験)というのは、長期的に見て身につかない勉強方法ですね。
やはり勉強そのものに価値を見出さないかぎり、本物の学力は身に付きません。
教師という仕事は、勉強することの本質を知り、それを伝えることが仕事のような気がしています。
まとめ
以上の記事のまとめです。
- 勉強嫌いになる理由は様々 でも教育者はそれを変えることができます
- 授業をアクティブ化 それが現状の学校教育のできること
- 勉強の本質を教える それが教育者の仕事
筆者自身は、勉強することが現在楽しくて仕方なくて、
それは過去の自分と比べて、成長している実感があるからです。
1年前、2年前、5年前、10年前と比べていくと、ずいぶん違う人生を今歩んでいると思うようになっています。
そのようになるのが「勉強の本質」であり、魅力であり、価値であると思います。
年齢に関係なく、これからも勉強に自己投資していきたいですね。そうすることで、成長し続けられるからです。